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2021/08/21
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LIVE KIRISHIMA_connect 第3回 かっこいい「農業」とは? 新しい情報×農業の形。 ゲスト:増田 泰博氏

 

霧島リノベーションまちづくり

LIVE KIRISHIMA connect 2021年8月21日

 

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第3回 かっこいい「農業」とは? 新しい情報×農業の形

ゲスト:増田 泰博氏

 


PROFILE

増田 泰博(ますだ・やすひろ)

1982年福岡生まれ。

福岡にて建築業に就くも、このままで良いのかと思い立ち日本を放浪。沖縄をめざすがその手前の鹿児島で資金が尽き、霧島市霧島総合支所に相談。現在住んでいる地域を紹介され、居候しながら農家やNPO法人霧島食育研究会にて働く。その後も様々なアルバイトを経て、平成26年に新規就農し、現在に至る。現在「マルマメン工房」代表小作人。新規就農者の支援等を行う「霧島NEO-FAERMES」会長および「姶良伊佐霧島地区農業青年クラブ飛翔クラブ」会長を兼務。


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霧島の地に不思議な縁で辿り着き、そのまま居住、さらに就農に至り、現在は家族と暮らしながら広く農業に関わっている。風景をつくることを農業の大切な一側面と捉えており、日々霧島の風景を守り、つくり続けている。


農業は、その土地の風景をつくる仕事

農林水産省の調査によれば、平成30年度の年代別新規就農者は、いちばん多いのが60代(30,340人)。次いで50代(7,390人)、40代(6,490人)、30代(6,450人)、20代(5,340人)、と若い年代になるにつれその数は減少する。

一方で同じく農水省の調査には、新規就農者の中でも〈新規自営就農者〉を除く〈新規雇用就農者〉と〈新規参入者〉では49歳以下の割合が70%を超え、4年連続で2万人を超えているというデータも。

40代以下で新たに農業に携わる人たちは、どんな魅力や未来をその世界に見出しているのか。現在39歳、霧島の地で農業を営む増田泰博さんにお話を伺った。


 

―――はじめに増田さんの現在の活動について教えてください。

まずは現在の農業全般について簡単にご紹介すると、昔はよく「きつい、汚い、危険」の「3K」が農業のイメージと言われていました。それに将来なりたい職業ランキングでは、2020年時点で100位中68位だったと思います。結婚できない職業、稼げない職業というイメージも調べると出てきます。

ただ、最近の農業は「感動、格好いい、稼げる」の「3K」に変わってきているんです。僕が思う「感動」は、収穫の感動もありますし、作業をやった後に一息ついてふと見わたすと、すごくきれいな景色が広がっていて感動するということもあります。

「格好いい」には「美しさ」も入ってくると思っていて、例えば、環境整備をして畑の畦をしっかり作ったり、一斉に色づき始める麦の美しさ。農業がある風景の美しさですね。

「稼げる」に関しては、例えば今、20代の若手の農家さんたちをはじめ、やり方を工夫してたくさん稼いでいる人がいます。立地などいろいろな条件によっては労働力の方が勝って、稼ぐのが難しいというふうになるんですが、その辺りを上手にやっている人が増えているのだと思います。

「感動」「格好いい」で挙げたように、農業の役割のひとつは風景をつくること。ひまわり、蕎麦の花、菜の花といった鹿児島の土地ごとの風物詩も農業がつくっています。風景をつくることは直接的にはお金にならないことも多いのですが、人に感動を与えるとか、菜の花マラソンのようにその場所に人を呼び込む役割にもつながってきます。

植物の美しさには数学的な配列、色、形、さまざまな要素があります。例えば大豆の花などは育てていないと見る機会が少ないと思いますが、うちで育てている大豆は10種類あって、赤、茶色、黒、白、青、緑、緑でも濃い緑とか薄い緑とか、バリエーションがあり、大小も違う。その植物が育つ過程でしか見れないものを見ることができるのも農業の魅力だと思います。

僕は農業を始めて7年目で、子どもと過ごす時間が取りやすいし、身近な友人たちともゆっくり語り合う時間をつくることもできる。そこも魅力ですね。

―――なるほど。いろんなお仕事を経てきた増田さんが、最終的に農業を選んだ理由は他にもありますか?

経緯としては、たまたま行きついたのが霧島で、そのまま住むようになって、NPOで働きながら、地域の仕事も手伝うようになったんです。でも、自分は外から来た、言わばよそ者。今後もここで暮らしていくなら「自分で自分の居場所をつくらないといけない」と思いました。

僕が今住んでいる場所は本当に素敵なところで、居場所をつくるなら、同時にその場所を守っていくこともできる。そのためには農業をするのが一番いいかなと思いました。そこには林業も含まれていますし、冬場は山仕事も入ってきます。お祭りを開催したりと地域の活動もしていますね。

―――農業に触れたのは、霧島が初めてだったのですか?

はい。NPO法人で働く中で食農体験をさせてもらって、農業の大切さに触れる機会になりました。

そこから未経験で始めようと思ったので、まずはいろいろなところに研修に行きました。アルバイトで農家さんの収穫を手伝ったり、有機農業のお茶農家さんに行ったり。そのあと働いたNPOでも農薬や化学肥料を使わない食農体験をやっていたので、僕はたまたま農薬に触れる機会がなかったんです。それで自然と、慣行農業より有機農業をしようと思うようになりました。

ただ有機農業でいきなり少量多品目を作って生計を立てていくのは難しいし、競争率も高い。そこで鹿児島でほとんど作られなくなった大豆と麦を作る選択をしました。地域の味噌作りを手伝ったりする機会もあり、鹿児島は味噌を自分で作っている方が多いと思ったんです。それに反して鹿児島県産の大豆や麦は少なかったので、需要があるかもしれないと思いました。そこから販路も自分で開拓していって、作り続けています。

―――霧島の地で農業をしていて良かったと思うのはどんなことでしょうか?

僕が住んでいるのは中山間地なので、立地的には農業をやりにくい方。でも、周りに助けてくれる方が多いんですよね。作業を手伝ってくれたり、気にかけてくれたり、ごはんを食べさせてくれたり……そんなおじいちゃん、おばあちゃん、おじちゃん、おばちゃんがいて、本当に温かい。この土地だったからやれているんだと思います。

それに行政の方も親身ですし、農業をやっていく上では、資材メーカーや農機具屋さんといった人たちとも関わっていく必要があり、そういう人たちにも恵まれています。

―――農業をするにあたって、情報の重要性はどんなところにあると思いますか?

例えば〈スマート農業〉では、情報の集約化が欠かせません。昔ながらのやり方だと、農家さん同士で情報があまり交換されないので、自分だけで突き詰めていかないといけない部分がありました。

でも今は情報を集約していこうという流れになっています。情報があればいいかと言うと、病害虫の情報ひとつとっても、以前と今では天候の違いもあるので一個一個確認し、アップデートしていかないといけない。農薬を使うのか、天然のものを使うのか、はたまたただ見守るのか、もっと違うことをするのか…。

作物が全滅したら、売り上げもゼロです。どんなに情報があっても最終的にどうするか判断するのは自分ですが、情報があれば選択肢が増えます。リスクや疲労を低減する選択肢のために情報は欠かせません。

例えば作物の病気に関して言えば、情報があれば未然かせめて初歩で防げたものを、情報を知らないばっかりに防げず作物が全滅ということもあり得ます。また路地で栽培している方は天候に左右されることが多く、その分リスクや理不尽も多いんです。

そうしたリスクで収入もそれまでかけた労力も全部ゼロになるっていうは、途方もない心身のストレスになる。適切な情報を持つことはそのリスクの低減につながります。

栽培方法とか、病気対策とか、同じ作物に対しても、場所や人によって考えは異なりますし、アップデートの必要もあるので、スマート農業が発展していって、情報がどんどん集約化されて、スマートホンで手軽に必要な情報にアクセスできるようになったらいいなと思います。


今回MCを務めた山口莉沙(写真左)

 

―――増田さんが活用している具体的な情報源にはどんなものがありますか?

例えばFacebookの農業者のグループは、ものによっては何千人、何万人の人たちがメンバーになっていて、誰かが質問を書き込むと回答が集まりますね。

今、稼げている農家の人たちって、職人気質というより経営者気質だと感じます。情報をお互いにシェアしたり、協働して規模を大きくして顧客を取りにいくとか、そういう経営的な視点からやっている。それによってさらに情報がシェアされたり、つながりが広がっていくんじゃないかと考えています。

ネットだけでなく、実際に会いに行くことももちろんあります。山形の大豆農家さんのところまで行っていろいろ話を聞いたこともありました。山形は大豆の産地なので、栽培方法を見て、どうしてその方法なのかを聞いて、鹿児島の気候でも活かせそうなものは持ち帰ったり、アレンジして活かしたりしました。

 

―――増田さんがお手本にしている格好いい農家さんや理想のあり方があれば教えてください。

稼ぎにくいと言われる農業で、ガンガン稼いでいる農家さんはやはり格好いいなと思います。JAや市場だけでなく、ネットが普及したことによって農家が直接卸せる販路、売り先が増えたので、それをうまく使って、同時に問屋さんとも取引しつつ、やっている人が多いですね。一人とか夫婦二人だけで、小さな畑をうまく回して栽培しながら加工品も作って、年商1,000万を超えている方もいらっしゃいます。

僕も個人事業主で、一経営者として、会社を発展させないといけない。ただ、僕の場合は地域をどう維持していくかも重要で、そこでどう継続的に農業をやっていくかを考えないといけません。地域のことをやりつつ、稼ぎつつ、子供が継ぎたいと言える、子供や孫が継がないとしても、誰かやりたい人が出てくるような農家でありたいと思っています。

もし自分だけ良いという意識で自分だけでやっていって、後継者がいないとなると、地域の維持という面でやっている意味がなくなってしまいます。この先何十年、何百年と今の場所がそのままであり続けられるようにしていくのが理想です。

―――息子さんからお仕事について何か言われたりしますか?

息子は消防士になりたいと言っています(笑)。それに僕の作っている豆を食べないんですよね(笑)。鹿児島の企業に委託して納豆も作ってもらっているんですが、息子はうちの納豆ではなく、別のメーカーのひきわり納豆派なんです。

ただお米に関しては「とと(お父さん)の作ったお米、おいしい」と食べているのでうれしいです。田畑にも連れて行くようにしていますが、だいたい駐車した車から降りずにYouTubeを見ていますね(笑)。でも草刈りマシンの試乗で運転してみたり、乗り物が好きなので、小学校に上がったぐらいでトラクターに乗ってくれたりすると、さらにうれしいですね。

 

―――これから霧島で農業をやってみたい、かつての増田さんのような方にメッセージをお願いします。

新規就農者は切実に増えてほしいです。2005年から農業者が半分以下に減っていて、60代以上が70%ぐらいを占めています。後継者不足もあります。新規就農で入ってきて、例えば5年間は支援金をもらいながらがんばって、でも支援金の対象期間が終わるとやっていけなくなってしまって、辞めていく人もいるんです。

かといって、既に就農している僕らがこの霧島の土地で、今ある何十町もの農地を担うことも無理がある。霧島で農業をやってみたい人や興味がある方は、まず自分の家の土地、おじいちゃんやおばあちゃんの持っている土地があれば、それを活かしてほしいと思います。

 

新規参入するには機械代を含め大きなお金がかかるので、親や祖父母が土地や機械を持っているならそれを継いでやるのがいちばんいいですからね。どんどん農業面積が減っていっている中で、祖父母や親が持っている土地があったら少しでもそこを維持してほしい。作りにくい立地はみんな作らなくなってきて、森に返した方がいいということになります。SDGs目線でいうと、農業はトラクターの排ガスなどが出る分、CO2がマイナスだったりします。なのでうまく山に返すようにするとか、自分たちの土地がある方はぜひ考えてみてもらって、農業をやってみようとか、働きながら少しだけ畑をしてみようとか、そうした方が増えてくれたらうれしいです。

 

やはり新規就農はせっかく意気込んで始めても壁にぶつかることも多々あると思います。でも、農業を他の形でサポートする方法もたくさんあります。例えば資材屋さん、農機屋さん、飲食店。そういうちょっと違った目線でサポートできるかもしれないという視点を持つ人がどんどん増えたらいいですよね。農業者だけがどんどん増えても、パイの取り合いになってしまう。霧島の農業の現状をいかに維持できるかを、農業をしたい人はやってもらったらいいですし、それ以外の人もサポートできることを考えてみてもらえたらいいなと思います。

今年、知り合いがもう10年ぐらい作っていない自分の家の田んぼがあるのでやってみたいと連絡をもらったんです。娘さんがやりたいと言い始めて、そのお姉さんやお父さんもお手伝いしてくれて。何とか半分ぐらいは活かせそうだったので、そこで田植えをして今、収穫を待っているところです。10年ぐらい放置すると木も雑草も生えている。かといってそこに栄養があるかというと、そうでもなかったりします。植えてみてどうなるか見ていく必要があります。

あとは「とりあえずやってみます、やってみましょう」と言うくらいのペースで始めるのがいいかなと思います。最初からがんばりすぎると疲れてしまうし、もし何か災害等があったときの、ショックも大きくなってしまいます。ですので、その田んぼのご家族とも「今年はやれる範囲でやれるだけ」を目標にやりました。そんな一見小さく見える、一人や一家族の動きも、地域の維持、風景の維持につながってくるんです。

 

 

 

 

 

 


(インタビュー・文/小野好美)

お祭りなど地域の活動もたくさんされていて、この土地になくてはならない増田さん。偶然が重なって霧島に辿り着き、住むことになり「この土地の風景を守っていきたい」と就農を決意されたお話にジーンとしました。

 

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